三郷

加助夫婦惜別の岩

1月13日(木)
松本市島内の国道19号線沿いにふと「加助夫婦惜別の岩」と書かれた案内板が目に付き
そのまま案内に従い登ってみると急坂の途中にある篠ノ井線踏切が現れ(車両通行不可)
そのそばに「加助夫婦惜別の岩が」ぽつんとありました。そこにある案内板を読むと

「貞享3年(1686年)11月16日、加助一族が騒動のかどで捕えられ、その後、加助や
弟・彦之丞、加助の子・伝八(12歳)・三蔵(10歳)らが役人に引かれ、入牢に向かう道すがら、
妻お民らと別れを、惜しんだ岩と、伝えられる。この岩の周辺を泣き坂と言う。」と書かれて
いました。

加助夫婦惜別の岩
加助とは貞享3年の時代に松本藩から大変厳しい年貢を申しつけられた為、現在の安曇野市三郷・堀金地区の同士11名と共になり年貢の減免等を求める5カ条の訴状を奉行所に提出 する事を計画それを聞きつけた農民1万人が松本城周辺押し寄せる事態になり。藩主も農民側の要求をのむべく減免が受け入れられた形となったが、その一方でその約束事を無いものとするような働きが加わり、その後多田加助とその一族や同士28名が松本の刑場にて処刑されることになり、その時に妻お民と別れを惜しんだ場所とされてます。

 

加助夫婦惜別の岩
長野~松本への篠ノ井線脇に建ってます。

時代がそうさせたのかその場に居るととてもやりきれない思いとなります。その後加助たちの要望の年貢2斗5升の減免は出来なかったですが3斗5升から元の3斗までに引き下げられることとなったそうです。加助に関する資料は現在の安曇野市三郷中萱に貞享義民記念館や加助のお墓のある加助神社などで詳細が分かりますが、この場所があるのはあまり知ら
れていないかもしれません。

 


霜月の朝

11月1日早いもので今年もあと2ヶ月を切ってしまいました。
10月下旬の寒い雨の日は終り、11月初日の朝方には雨はあがり
雲間からお日様が現れると先日まで寒さはどこえやらお日様の
暖かさを痛感しました。 山麓はりんごが深紅に染まり収穫を待ってます。
山肌には雨上がりの雲が走りとても幻想的な光景を見せてくれました。
あらためて安曇野の美しさを実感した朝でした。 

雨上がりの山麓

旬となってきました

9月9日 暑い暑いとは言っても季節は確実に秋移り変わってます。
稲穂は実り明日にでも刈れるような感じに穂をもたげ、りんごは朱に
染まり、そばの花は、いたるところで白い花を咲かせています。
空気もひところのようなムッとした感じがなく柔らかく感じます。

りんご
9月に入りだいぶ赤く染まり始めました。

りんご
安曇野南部三郷には広大なりんご畑が広がります。

そばの花
今が見ごろのそばの花


松本平の夜景

三郷スカイラインより望む松本平の夜景です

後方の山々は、美ヶ原や鉢伏山に高ボッチになります。

01.jpg

安曇野に比べて松本市内は、さすがに明かりが多いですね。

02.jpg

ここは結構良い夜景ポイントです。

鍋冠山に大滝山への登山口でもあります。

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松本平の夜景

三郷スカイラインより望む松本平の夜景です

後方の山々は、美ヶ原や鉢伏山に高ボッチになります。

01.jpg

安曇野に比べて松本市内は、さすがに明かりが多いですね。

02.jpg

ここは結構良い夜景ポイントです。

鍋冠山に大滝山への登山口でもあります。

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